娘の学校~いまだに食べ終わるまで残させるシステムが存在していた~
久々の更新になります。
二か月近く放置していたのに、見に来てくれている方もいてありがたいです。
前回少し書きましたが、在宅での仕事を始めました。
と言ってもフルタイムではなく、空き時間にコツコツとできる仕事です。でも、働いた分にしかお給料は発生しないので、とにかく多くの数をこなさないと稼げないということもあり、子供たちがいない昼間はほぼ仕事をしていました。
出産してから久しぶりに自分でお金を稼ぐのは嬉しかったです。
来年はブログも週1は更新できるように頑張ります。
話は変わって、小学一年生の娘の学校の話を…。
娘は偏食が激しく給食で苦戦しており、今までも何度か学校へ行きたくないということがありました。
今月も一回行き渋りがあったので、理由を聞いてみると
「給食が食べ終わるまで残されるから」とのこと。
かなりショックでした。
私が会食恐怖症のきっかけとなった給食で、娘も苦しんでいる。
今でもまだ、「食べ終わるまで残させる」というシステムが存在している。
こんな身近で起きているなんて…。
娘のクラスは、昼休みが終わったところで給食室へ食べきれなかった給食を返しに行けるらしいのですが、他のクラスでは昼休み→掃除→5時間目→帰りの会まで残させられている子もいるそうで…。
もちろん好き嫌いせずに残さず食べることは素晴らしいけれど、どうしても食べられないものは誰にだってあるし、食べるのが遅い子もいる。
その子たちにとって、「食べ終わるまで残させる」というのは苦痛でしかありません。
それがきっかけで学校が嫌になったり、私のように会食恐怖症を発症してしまう可能性だってある。
会食恐怖症になったら、人とごはんが食べられなくて、毎回吐き気や動悸に悩まされて、生きているのが本当に辛くなる。
食べ終わるまで残させることに意味はあるのでしょうか…。
ちなみに、娘の担任の先生はどちらかというと残してまで食べさせることはしたくないそうですが、もうすぐ二年生になるということもあり少し厳しくしていこうと、学年の先生たちでそういった話が出たそうです。
給食の完食指導をするにしても、子供たちが精神的な苦痛を味わうことがないように配慮してほしいと思います。
そして、これから先もクラスが変わって担任の先生が変わるごとに、給食の悩みは尽きそうもありません…。
年の終わりに少し暗い話になってしまいましたが、これからも娘、息子の近況、そして私自身の会食恐怖症の経験を綴っていきますので、来年もよろしくお願いいたします。
会食恐怖症 ~小学5年、症状が少し和らいだきっかけ~
久々の更新になります。
ここ最近、子どもたちが小学校、幼稚園へ行っている間に少しでも働けないかと思っていろいろと求人を見ていたのですが、なかなか短時間の仕事は見つからず…。
そして娘がたまに学校に行きたくないという日もあるため、急な休みに対応してくれるような職場はまず無くて、そもそも働けたとしても職場に迷惑をかけることになるから、まだ外に出て働くというのは難しいなぁと思っていたところ、在宅ワークというものを発見。
「自分の好きな時間に働ける」、「隙間時間を活用」という魅力的な言葉につられて、在宅での仕事をしてみようと思っているところです。
今日は、会食恐怖症の症状が少し和らいできたときのことを書きます。
前回のブログはこちら↓
会食恐怖症の症状が一番ひどかったと思う小学校5年生のとき。
給食時間は昼休み~掃除の時間まで残され、掃除が始まるとやっと担任の先生が「残してきなさい」と言ってくれて、ほとんど食べられなかったごはんを給食室まで持っていくのが毎日繰り返されました。
担任の先生や周りの子たちからの「また?」「いつまで食べてるの?」という言葉が本当に辛かったです。
そんなある日、私は歯の矯正をすることになりました。
前歯が一本だけ斜めに生えてしまってて、歯医者さんから矯正を勧められていたんです。
今でこそ当たり前のようになっている矯正ですが、当時(25年くらい前)はまだ珍しいもので歯医者さんもそんなにやったことがなく、「治療費を安くするからモニターとしてやってみませんか」みたいなことを言われ、母が承諾したそうです。
その矯正器具が分厚くて、歯に付ける金具も銀色でとても目立って、とにかく付け心地が悪いものでした。
当然、食事中も違和感があって、ごはんと一緒に金属が口の中にある感覚が気持ち悪かったし、金具の細かいところに食べ物がくっつくし、慣れるまでは大変でした。
そんな私を見て、母は連絡帳に「矯正をしているため食事に時間がかかる」という旨のことを書いてくれたんです。
すると、担任の先生や周りの子たちが、食べられなくても矯正してるから仕方ないと言ってくれるようになり、残しても責められないことが少しずつ私の気持ちを楽にしてくれました。
会食恐怖症の人って、人一倍残すことに罪悪感を持っているんです。
残したらダメ→でも食べられない→こんな自分は最低だ…というマイナス思考が働いてしまって…。
残しても仕方ない、時間内に食べられなくても仕方ないという気持ちになると、少しずつですが吐き気や緊張がマシになってきて、一学期の終わり頃には完食できる日も出てきました(最初に盛る量をかなり減らしてもらっていたけど)。
このときは本当に嬉しかったです。
気の合う友達もでき始めて、やっとクラスに慣れてきたときでした。
このあと楽しい夏休みがスタートしてこのまま治るかと思いきや、夏休みの終わりごろにまた予期不安が出てきて悩まされるのだけど…。
会食恐怖症 ~小学5年、休んだときのこと~
今日は会食恐怖症になった小学5年生のときの話です。
会食恐怖症になったきっかけについてはこちら↓
小学5年生になってクラスが替わり、親しい友達がなかなかできず、そして給食時間には吐き気と動悸で辛くて、私は二日間学校を休みました。
この時は、家でのごはんも食べられない状態だったので、親には「食べると気持ち悪くなる」と伝えたところ、案外あっさりと休めました。
不思議なことに、休めるとわかったとたんに吐き気と動悸がスーッとなくなるのです。
心配した母親が小児科へ連れて行ってくれたのですが、「環境が変わって少し疲れが出たのかもしれない」と言われただけでした。
当時「会食恐怖症」という言葉なんて存在していなかったし、こころの病気というものがまだまだ認知されていなかったということもあって、ちょっと休めば治るだろうくらいにしか思われていませんでした。
その日のお昼ごはんは久しぶりに吐き気がなく、おいしく食べられました。
そうなると、まだ11歳だった子供の私は「あれ、もう治ったんじゃない」という気持ちになってきたんです。
「もう明日からは普通に食べられる」と思っていました。
でもそう簡単にはいかなくて、夕ご飯の時間が近づいてきたとき、また吐き気と動悸が襲ってきました。
「お昼は大丈夫だったのに、なんで…」
もう、絶望でした。
結局夕ご飯はほとんど食べられず、明日からまたこの症状に悩まされることを考えると不安で仕方なかったです。
そして次の日。
私は再度「食べると気持ち悪くなる」と言って、もう一日休みました。
さすがに二日目になるとあまり信じてもらえず…。
前日のお昼ごはんを普通に食べていたこともあり、母の態度も少し冷たかったです。
私が「気持ち悪い」と言っても、母は「もう吐いてもいいから食べなさい」と返してきました。
ああ、もう何を言ってもダメだな…と思いました。
毎日パートに出ていた母からすると、これ以上休んで職場に迷惑をかけられないという思いがあったのかもしれません。
もう「学校に行きたくない」とは言えず、次の日から嫌々登校する日々が続きました。
このときが本当に一番きつかったかもしれません。
まだ小学生だから自分の力じゃ何もできないし、今のようにネットで調べるなんてできないし。
母から言われた言葉は傷ついたけれど親なりに心配はしてくれて、漢方の胃腸薬を買ってきてくれたり、散歩で気を紛らわせてくれたりしました。
当時は、私も親もどうしていいかわからない状態だったと思います。
次回は、会食恐怖症の症状が少しやわらいできたときのことを書きますね。