会食恐怖症 ~小学5年、休んだときのこと~
今日は会食恐怖症になった小学5年生のときの話です。
会食恐怖症になったきっかけについてはこちら↓
小学5年生になってクラスが替わり、親しい友達がなかなかできず、そして給食時間には吐き気と動悸で辛くて、私は二日間学校を休みました。
この時は、家でのごはんも食べられない状態だったので、親には「食べると気持ち悪くなる」と伝えたところ、案外あっさりと休めました。
不思議なことに、休めるとわかったとたんに吐き気と動悸がスーッとなくなるのです。
心配した母親が小児科へ連れて行ってくれたのですが、「環境が変わって少し疲れが出たのかもしれない」と言われただけでした。
当時「会食恐怖症」という言葉なんて存在していなかったし、こころの病気というものがまだまだ認知されていなかったということもあって、ちょっと休めば治るだろうくらいにしか思われていませんでした。
その日のお昼ごはんは久しぶりに吐き気がなく、おいしく食べられました。
そうなると、まだ11歳だった子供の私は「あれ、もう治ったんじゃない」という気持ちになってきたんです。
「もう明日からは普通に食べられる」と思っていました。
でもそう簡単にはいかなくて、夕ご飯の時間が近づいてきたとき、また吐き気と動悸が襲ってきました。
「お昼は大丈夫だったのに、なんで…」
もう、絶望でした。
結局夕ご飯はほとんど食べられず、明日からまたこの症状に悩まされることを考えると不安で仕方なかったです。
そして次の日。
私は再度「食べると気持ち悪くなる」と言って、もう一日休みました。
さすがに二日目になるとあまり信じてもらえず…。
前日のお昼ごはんを普通に食べていたこともあり、母の態度も少し冷たかったです。
私が「気持ち悪い」と言っても、母は「もう吐いてもいいから食べなさい」と返してきました。
ああ、もう何を言ってもダメだな…と思いました。
毎日パートに出ていた母からすると、これ以上休んで職場に迷惑をかけられないという思いがあったのかもしれません。
もう「学校に行きたくない」とは言えず、次の日から嫌々登校する日々が続きました。
このときが本当に一番きつかったかもしれません。
まだ小学生だから自分の力じゃ何もできないし、今のようにネットで調べるなんてできないし。
母から言われた言葉は傷ついたけれど親なりに心配はしてくれて、漢方の胃腸薬を買ってきてくれたり、散歩で気を紛らわせてくれたりしました。
当時は、私も親もどうしていいかわからない状態だったと思います。
次回は、会食恐怖症の症状が少しやわらいできたときのことを書きますね。